秋も深まったという気配が、朝晩の冷えを通じて伝わってくる当今。
三人分の体温を包み込んだベッドの中では、その温もりがひどく心地よかった。
「ひかりさん、眠れないの?」
明り取りの窓から染み入ってくる月の光。その蒼白さを、射干玉(ぬばたま)の黒さを持つ髪
にツヤツヤと滑らせて、ほのかが小さな声で尋ねる。夜気を乱すことのない、優しい声音。
「……はい」
ひかりが頷く。月光すら引立て役に落としつつ、金色に澄み切った髪が、薄闇の中で小さく揺
れた。
白い面立ちを、隣にいるほのかへと向ける。
「なんだか、楽しくて眠れなくなってしまいました」
幸せそうに目を細めた無垢な笑顔。ほのかもつられたように、微笑みを顔に乗せた。
触れ合う身体が、お互いの肌の温もりをそっと伝える。なぎさとほのかに挟まれながら、三人
で一緒に眠るには、ベッドのサイズ的に少し窮屈だった。しかし、ひかりには、そのことは全く 苦にならないようだ。
「素敵なお父さんとお母さんに囲まれてるみたいで、すごく嬉しいです」
年齢的には二つしか違わないのだが、ひかりにとって、いつも彼女を守ろうとしてくれる二人
の存在は、随分と大きなものらしい。三人でベッドに入ってからは、完全に被保護の立場にひ たっていた。
ひかりの言葉を受け、ほのかはチラリと視線を飛ばした。ひかりの頭の向こうに見えるなぎさ
の寝顔を見て、ほのかの表情がふんわりと甘い笑みに溶けた。
「そうね。特にお父さんのほうは、本当にすっごく素敵な人よね」
ほのかが腕を伸ばして、一人だけスヤスヤと寝息を立てているなぎさの髪に、そーっと手櫛
を通す。
「どんなにつらい時も、なぎさがそばにいてくれた。たとえ二人の距離が離れていても、私の心
はずっとなぎさを感じてた。太陽が花に元気を与えるみたいに、なぎさはいつも私に元気をくれ るの」
なぎさの事を話している時、ほのかは知らず知らずに饒舌になっている。
「最近ね、なぎさがそばにいてくれないと集中できないことが多いの。なぎさと離れていると、今
頃なぎさどうしてるんだろうなぁーって、ふと考えちゃって……」
ひかりが楽しそうに相槌を打ってくれるものだから、口のすべりがどんどん良くなる。ほのか
はますます目を輝かせて、なぎさの事を甘ったるい声で話し出した。
「ねえ、ひかりさん聞いて。なぎさったらね、この前なんか……」
「…ほのかぁっ……」
突然、なぎさの寝言が割り込んできた。なにやらうなされているようで、現にひかりが振り向い
てみると、眉間の辺りに厳しいシワを寄せていた。
そして、ポツリ…と寝言をこぼした。
「ほのかったら……バイキンマンみたい……」
ほのかとひかりが顔を見合わせて、思わず噴き出してしまう。
「バ…バイキンマンっ?」
「ど、どんな夢を見てるんでしょうか?」
笑いがひとしきり収まった頃には、なぎさは元のように静かな寝息を立てていた。
話の勢いをそがれたほのかは、いつもの落ち着いた雰囲気の彼女に戻っていた。
ちょっとだけはしゃいでいた気分に流されて、今度はひかりのほうから口を開く。
「あの、ほのかさんとなぎささんって……」
踏み込んだ事を聞こうとしている自分に気付き、ひかりは慌てて口を閉じた。だが、ほのかは
気にすることもなく、省略されたひかりの言葉を拾い上げてきた。
「…付き合ってるみたい?」
ほのかが冗談めかした口調で続ける。
「そのうち、なぎさにプロポーズされちゃうかもね」と言ってクスクスと笑うも、目線は恥らうように
伏せられていた。
短い沈黙の後、ほのかは小声で語りだした。
「この前、なぎさがお泊りした時にね、私…眠っているなぎさにね、このままずっと一緒にいてね
って言ったの。そしたらなぎさは、『うん』ってハッキリ口にして頷いてくれた。なぎさ……本当に 寝てたのよ。なのに、私の声が届いてるみたいに返事をくれたの」
つっ…と視線を上げ、ひかりと視線を合わす。なぎさへの想いで潤んだ瞳は、月の光を受け
て神秘的に揺れていた。
「……それが偶然だっていうことはもちろん分かっているの。でも、その時は…私……なぎさに
告白されたような気がして……。いつも以上にくっついて眠ってみたら、なぎさの体、すっごく暖 かくて……」
切なさが胸を締め上げてくる。
ひかりがほのかの視線を受け止めて、ゆっくりと頷いた。ベッドの中にあるほのかの手を、両
手で包み込むように握る。
「私…なぎさのことが……」
友情と、もうひとつの感情の間で揺れ動いていた気持ちが、今、ようやく答えを出そうとしてい
た。
その時。
なぎさが寝惚けて、ひかりのか細い体を、後ろからギュッと抱き締めてきた。一ミリの隙間も
ないほどに密着して、あまつさえ、ひかりの耳元に「大好き…」と眠ったままささやく。
「……………………」
「……………………」
何だか急に寒々と冷え込んだ月光に淡く照らされつつ、ほのかとひかりの時間は凍りつい
た。なぎさは、ひかりを抱いたまま心地よい眠りを満喫している。
一分近く固まってから、ひかりが「ハッ」と気付いて動き出した。
「あ、あ、あのっ、私をほのかさんだと間違えてるみたいですっ」
上擦った声を上げて、くた〜っと力の抜けたなぎさの両腕から慌てて抜け出す。
「そ…そうよね」
ようやくほのかも正常に復帰して、深々と安堵の溜息をついた。
「んもう〜っ、なぎさってばぁ……」
そんなほのかに、ひかりが急に体を寄せてきた。少しだけ身を起こして、ほのかに微笑みか
ける。
(えっ、ひかりさん?)
掛け布団の下で、ひかりの手がほのかの体をまたぐ。スッ…と月の光がさえぎられて、ほの
かの顔に影が落ちた。目の前には、月明かりで逆光になったひかりの顔。
(えっ!? えっ!?)
ほのかの心臓が驚いて飛び跳ねた。
「ほのかさん……」
ひかりが何かをしゃべろうとしているが、それよりも、不意に接近を許してしまった唇同士の
距離に気が気ではなく……。心臓がバクバクと警鐘を鳴らすも、ほのかにはどうすることも出 来ない。逃げるように目を瞑って、ほのかは硬直した。
パジャマ越しに、二人の肌が触れ合う感触。ひかりの軽い体が、上から重なってきた。
(だめっ!)
叫ぼうとしたが、唇は動いてくれなかった。
しかし、ほのかの危惧をよそに、ひかりの体は何事もなく彼女を通過して、すぐにベッドの反
対側に降りてしまった。
なんとなく、呆気にとられてしまっているほのかの背中を、ひかりが優しく押す。
「さっ、なぎささんのそばに……」
「う、うん」
普通に考える余裕があったならば、すぐに気が付いただろう。ほのかに気を使って、ひかり
が寝る位置を変えてくれただけのことだった。
「ありがとう、ひかりさん」
手短に礼を伝えて、そそくさとなぎさのほうを向く。すっかり勘違いして、真っ赤になってしまっ
た顔を見られるのが恥ずかしかった。
(もうっ、なぎさのせいなんだからッ)
八つ当たり気味に、なぎさの手をきつく握る。……暖かくて気持ちがいい。握り慣れた手の感
触に、怒りも『ふわっ』と散ってしまう。
なぎさ、大好き。
なぎさにだけ聞こえる声で……なぎさにだけ届く声で、ほのかが呟いた。
しばらく、なぎさの寝顔を眺めていたが、何のリアクションも起きなかった。それでもほのかは
わくわくと胸を躍らせて待ち続ける。
今回も魔法のように、なぎさが頷いてくれることを夢見て。
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